比治山公園に行ってみた(2)放射線影響研究所

比治山公園広島市現代美術館に行った後、ついでなので同じ公園内にある放射線影響研究所も見てきた。放射線影響研究所比治山公園の頂上付近にある日米共同の研究所だ。祖母がかつてこの場所で働いていたという話もあり、興味を持って行ってみた。

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放射線影響研究所

放射線影響研究所は原爆投下後にアメリカが作った原爆傷害調査委員会(ABCC)が前身の研究所である。1975年に日米共同運営に再編されて、現在の放射線影響研究所になっている。

近くに赤と白の電波塔が立っているので、それを目指して美術館から歩いていった。山の中なのでそこらじゅうからセミが鳴いていてうるさい。道は木陰になっているが、それでも8月の広島は暑い。汗を流しながら坂道を登っていき、放射線影響研究所までたどり着いた。

裏手から回ったので、看板などに遭遇することなくいきなり独特な形状の屋舎が目の前に現れる。

放射線影響研究所のかまぼこ型の建物

正面に回ると放射線影響研究所の看板が見つかる。日曜日ということで人はいない。駐車場を見ると役職者用の駐車スペースが並んである。平日だと所長や理事長といった人々が車で来て、ここに車を止めているのだろういう生活感が垣間見える。

放射線影響研究所(正面)

放射線影響研究所の看板

電波塔の存在感が強いが、電波塔自体は放射線影響研究所の設備ではなく、FM放送の送信のための設備である。しかしこの電波塔と独特な形状の屋舎のせいで、映画やドラマに出てくる秘密の研究所のようにも見える。

祖母と放射線影響研究所

原爆投下当時、私の祖母は広島駅辺りにいたらしく、電車に乗り遅れたおかげで助かったという話を聞いている。広島駅というと爆心地から2キロほどしか離れていない。生き残ったのは運が良かった。

そして戦後、その祖母はこの場所で働いていたということを両親から聞いた。この場所で働いていたのは子供が生まれる前とのことなので、1940年代後半か1950年代のはずだ。ということは放射線影響研究所ではなく前身のABCCで働いていたということだろうか。原爆投下からそれほど年月も経っていないなか、大勢の被爆者が出入りするABCCで働くというのは、どういう心情だったのか想像することも難しい。

陸軍墓地とフランス兵士の墓

放射線影響研究所の横には陸軍墓地がある。放射線影響研究所がある場所一帯はもともと陸軍墓地だったとのことだ。西南戦争からある墓地だが、戦後にABCCが比治山に作られたこともあり、現在は放射線影響研究所の近くの一角に縮小されている。

比治山陸軍墓地の入口あたり

陸軍墓地の奥に、フランス兵士の墓がある。義和団事件のときに死亡した兵士とのことだ。歴史を感じる。義和団事件で怪我をした兵士120名余が広島に搬送され、陸軍病院で治療されたが、そのうち7名が広島で死亡して、ここに埋葬された。

まとめ

原爆ドームと同様にこの場所も広島に原爆が落とされたという証拠の一つなので、原爆ドーム平和公園などの観光が終わって、時間がありあまった人は広島市現代美術館とともに訪れてみるのもおすすめです。

また、標高の高いところを目指すのはゼルダの伝説BotWでおすすめのテクニックですが、現実世界でも高いところに登ってみると、放射線影響研究所のようなものと出会えるかもしれません。高いところを目指すのもおすすめです。

参考