10年

10年前

10年前、まだ学生だった。神奈川に住んでいたが、地震が起きた時にちょうど地上にいなかったので物理的な地震の直撃は免れた。

ニュースで伝えられる死者数が時間と共に増えていき、もしかしたら数千人は死ぬのではないかと思った記憶がある。実際は想像をはるかに上回っていた。地震津波による死者及び行方不明者数は2万人を超えた。

震災後、多少の不便はあるにしろ、生活が破壊されるほどの変化はなかった。東北や北関東で被災している人たちのことを考えると、変わらぬ生活ができたのは幸運だった。

原発の事故については当時は何も理解していなかった。何が起きているのか、これからどうなるのかわからないまま、多分大丈夫だろうという無根拠な考えを持っていた。

ネットでは東浩紀が家族と一緒に西に逃げたとかなんとかで揶揄されていたりしていたが、それもネット上のただのネタとして消費していた。自分には子供もいないし、逃げる場所もない。誰がどこに逃げようと何も関係がない。

10年間

自分にとって影響の大きかった社会的な出来事は2009年頃の金融危機の方で、学部の卒業予定が2010年だったので、自分も周囲も大きな影響を受けていた。企業が採用を絞り、働く先を見つけることができない。金融危機から立ち直る暇もなく東日本大震災があり、何もかも事態が好転することもなく、学生の時代が終わった。

その後、働いて、働いても金はなくて、惨めだと感じながらも働いて、仕事を変えて、少なくとも金がなくて惨めな思いをすることはなくなった。

そして新型コロナの流行が2020年に本格的に始まった。1年が経った今でも社会に大きな影響を与えている。自分が今いるIT業界はコロナでも営業できないということはなく、在宅で開発の仕事ができる。こういう安全な状況なのはたまたまだ。これが2015年だったら、自分はどうなっていたのか。

事故

東日本大震災も新型コロナも避けようのない自然災害だ。起きた時に被害が最小になるように努めるしかない。

一方で原発事故のような事故は未然に防いだりもっとうまく扱えないかと思う。大事故に興味があって大惨事と情報隠蔽という本を読んだ。ボパール化学工場、チェルノブイリ原子力発電所東海村JCOなどで起きた事故のことを知った。事後的に原因を見つけるのと、事前に防ぐことは違うので、全ての事故が未然に防げたとまでは考えていない。しかし多くの事故は防げそうだし、事故が起こりうる組織に事業を認可しないことは可能だと考えるようになった。

これから

10年経って、この先の10年のことも考えた。これから先、どうなるかは全くわからない。ただ変化はしようと思う。10年前は何も持っていなかったから、変化にためらうことはなかった。今はそうではないけど、変化を受け入れたい。自分自身もだし、社会も10年あればどのようにでも変われるだろう。